井上ひさし先生の命日でもある4月9日に川西を出発した私たちは、その晩は北上市で泊まり、
翌10日、遠野市をへて、9時過ぎに釜石市に到着しました。
翌10日、遠野市をへて、9時過ぎに釜石市に到着しました。
釜石市の中心部は停電していました。木造家屋はほぼ倒壊し、鉄筋コンクリートの建物も3階部
分まで津波が届いていました。津波で運ばれた泥や土砂が一面に堆積しています。不思議に異
臭は感じられません。ただ、今後乾燥してくると、春先の強風によって舞い上がり空気を汚染する
のではないかと心配になりました。
少しずつ災害ゴミが搬出されていましたが、量の多さの割にあまりに重機や運搬用車両の数が
少なく、人力では途方もなく時間がかかると思われます。
道路沿いには、津波に押しつぶされたがれきが、まるで除雪された雪のように押し付けられてい
ました。
復旧のため、車の往来を確保しようとしたのでしょう。道が確保されていても信号機が機能してい
ないので、交差点にくるたびに徐行しなければなりません。
また押し付けられたがれきが道路沿いに延々と続いているので、どこを走っているのかよくわかり
ません。
戸惑いながらも、カーナビを使い釜石市を抜けて大槌町を目指しました。
大槌町に至る国道45号線は、ほぼ復旧していました。
しかし沿岸沿いの漁港は津波によって壊滅的な被害を受けていました。
何十トンもありそうな防波堤が基礎から破壊され打ち上げられており、改めて津波の破壊力を実
感しました。
想像以上の惨状に言葉も出ません。
テレビや新聞では伝わらない現実に遭遇すると人間は無言になってしまうようです。
9時40分大槌町着。
町は焼き尽くされ、焼け残った庁舎、消防署、図書館などは、建物の鉄骨やプロパンボンベ、鉄
屑がもう赤錆びています。
どんな町並みだったのか想像もつきません。
町がなくなるとはこういうことなのかと、あらためて思いました。
自衛隊に災害対策本部の場所を聞くと、本部は焼けた小学校沿いの道を上った高台の中央公民
館にありました。
そのまだ新しい建物の中で、本部長の副町長と会いました。
瓦礫の山でクルマが入れない(釜石市内) |
クルマが通れる部分は、瓦礫がまるで雪掻きのように両脇に押しつけられていた |
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