2011年4月30日土曜日

置賜公園さくらまつりスタート

今日、川西町でも、さくら祭りがスタートしました。
昨日の夜のニュースでは、岩手県北上市・展勝地のさくらまつりに招待された被災者の話題が紹介されていました。

あいにく川西町は例年になくさくらの開花が遅れています。

今日のところは、せいぜい二分咲きといったところでしょうか。

それでも福島県から川西町に避難してきた子どもたちもイベントに参加してくれ、はじめて見る川西町のさくらを楽しんでくれたようです。

連休後半には、さくらも満開になるものと思われますので、ぜひ川西町にもおいでください。

2011年4月28日木曜日

ゴールデン・ウイークは東北へ!川西町へ!

いよいよゴールデン・ウイークがはじまります。

震災の影響で運転できなかった山形新幹線もすでに開通しています。

震災の被害を受けなかった方々がひとりでも多く東北に来てくださることが、東北を元気にします。

川西町でもゴールデンウィークを迎えるにあたって、元気になるイベントを企画しております。

遅れていたサクラもようやく開花しました。

ご家族、お友達とごいっしょに春満開の川西町を楽しみませんか。

◆かわにし春のイベント◆

①置賜公園さくらまつり

 4月29日(金・祝)、30日(土) 10:00~16:00

 場所:置賜公園野外ステージ周辺

②えき・まち子どもフェスタ&ひょうたん島スタンプラリー

 5月5日(木・祝) 10:00~15:00

 場所:羽前小松駅

③川西ダリヤ園スプリングフェア
 5月6日(金)~8日(日) 10:00~16:00

 場所:川西ダリヤ園多目的広場

●情報・問い合わせ●

川西町産業振興課 TEL 0238-42-6645

川西町観光協会  TEL 0238-42-2112




2011年4月25日月曜日

大槌町災害支援報告④

 大槌町の佐々木生涯学習課長の案内で町内を見て回りました。

救援物資の集積所でひとりの若者に出会いました。

彼は今年26歳になる役場職員で、佐々木課長の従兄弟の子にあたるということでした。

佐々木君のお父さんは、地元地方紙の記者で取材中に津波にさらわれ犠牲となりました。

「母親も行方不明中だが探す時間がない。父親の遺体が見つかっただけでもよかった」

と話してくれました。

感動したのは、被災者でありながら、役場職員として任務を遂行する佐々木課長、佐々木君の

働きです。

役場が持つ役割の大きさを強く感じました。町民の命を守るのは我々の使命です。

そして危機的な状況にこそ力を発揮するのが協働のまちづくりです。

自助の力を発揮し、行政と連動したとき2倍3倍の力が発揮できると確信してきました。

二人と力強く握手を交わし健闘を誓いました。

帰りは、45号線、南三陸高速道も通行可能となっていましたので大船渡、陸前高田、、気仙沼を

回りましたが沿岸部はどこも同じで壊滅的な状況です。その情景に慣れてしまうのが恐ろしい。

しかしその中でも陸前高田の惨状は言葉では表現できません。

海上を二機の自衛隊ヘリコプターが捜索活動を展開していましたがあとは見渡す限りがれきが続

いています。時々捜索活動する姿を見ましたが、他に人の姿は見えません。

津波に遭ったかどうかで、ここまで世界が違うのかと思いました。

「地震は経験したことの無い激しく長い揺れだったけど、地震で建物は破壊されなかった。津波被

害に尽きる」

という声を大槌でも聞きました。

津波の被害に遭わなかった地域は、もう普段に近い生活に戻れているようでした。

釜石から気仙沼まで三陸海岸を南下しましたが、海はたいへん穏やかでした。

船が沈んだり打ち上げられている所もありましたが、豊かな海です。

この豊かな恵みを糧に、いち早い復興を願うばかりです。

陸前高田の惨状

山際まで瓦礫に埋め尽くされている

ここにどんな街並みがあったのか想像することもできない

2011年4月23日土曜日

大槌町災害支援報告③

東梅政昭大槌町副町長(町長代行)に面談した私たちは、町から持ってきた救援物資の目録を手

渡し、またプラザから提供いただいたひょっこりひょうたん島のCD、グッズなどをプレゼントしまし

た。そして井上先生との関係、昨年お会いした際の町長さんとの約束を話し、少しでも大槌町の人

びとの力になりたいと申し出ました。

突然の訪問にも関わらず、東梅副町長には大変喜んでいただくことができました。

大槌町は国内に姉妹都市がないので、ぜひ応援をお願いしたいとのことでした。


東梅副町長と面談















大槌町の現状について聞いてみると、さすがに少し疲れた様子でしたが、今もっとも必要とされてい

ることは仮設住宅の建設と災害ゴミの処理だと、静かに話してくださいました。

また避難所の生活が長くなり、当初のおにぎりと水だけの食事から、野菜や果物などバランスのい

い食事への要求が高まっているため、それにどう対応するかも大きな課題のようでした。

8校あった小中学校のうち6校が被災し建て直す必要があるが、当座は残った学校の体育館を間

仕切りして教室を確保し学校を設置するそうです。


地震と津波で破壊され火災で焼き尽くされた大槌町の市街地

















大槌町では町長をはじめ職員32人が津波に飲み込まれ、残った職員の多くも家族や親族が犠牲

者になっており、少しずつ役場機能を復活させているとはいえ、町としての機能がある程度回復す

るには、まだまだ時間がかかるともおっしゃっていました。

町内を案内してくださった佐々木生涯学習課長はこの1カ月の間に休みをとったのは、4月4日と5

日の二日だけ。残りは車の中で寝泊まりしながら仕事を続けてきた。

「家はすべて流されたけど、幸い家族の命は助かったので幸せな方だ」

と話してくれました。

ひょうたん島のモデル・蓬莱島をバックに佐々木氏から説明を受ける

2011年4月20日水曜日

大槌町災害支援報告②

井上ひさし先生の命日でもある4月9日に川西を出発した私たちは、その晩は北上市で泊まり、

翌10日、遠野市をへて、9時過ぎに釜石市に到着しました。

釜石市の中心部は停電していました。木造家屋はほぼ倒壊し、鉄筋コンクリートの建物も3階部

分まで津波が届いていました。津波で運ばれた泥や土砂が一面に堆積しています。不思議に異

臭は感じられません。ただ、今後乾燥してくると、春先の強風によって舞い上がり空気を汚染する

のではないかと心配になりました。

少しずつ災害ゴミが搬出されていましたが、量の多さの割にあまりに重機や運搬用車両の数が

少なく、人力では途方もなく時間がかかると思われます。

道路沿いには、津波に押しつぶされたがれきが、まるで除雪された雪のように押し付けられてい

した。

復旧のため、車の往来を確保しようとしたのでしょう。道が確保されていても信号機が機能してい

いので、交差点にくるたびに徐行しなければなりません。

また押し付けられたがれきが道路沿いに延々と続いているので、どこを走っているのかよくわかり

せん。

戸惑いながらも、カーナビを使い釜石市を抜けて大槌町を目指しました。

大槌町に至る国道45号線は、ほぼ復旧していました。

しかし沿岸沿いの漁港は津波によって壊滅的な被害を受けていました。

何十トンもありそうな防波堤が基礎から破壊され打ち上げられており、改めて津波の破壊力を実

ました。

想像以上の惨状に言葉も出ません。

テレビや新聞では伝わらない現実に遭遇すると人間は無言になってしまうようです。

9時40分大槌町着。

町は焼き尽くされ、焼け残った庁舎、消防署、図書館などは、建物の鉄骨やプロパンボンベ、鉄

もう赤錆びています。

どんな町並みだったのか想像もつきません。

町がなくなるとはこういうことなのかと、あらためて思いました。

自衛隊に災害対策本部の場所を聞くと、本部は焼けた小学校沿いの道を上った高台の中央公民

にありました。

そのまだ新しい建物の中で、本部長の副町長と会いました。

瓦礫の山でクルマが入れない(釜石市内)
















       

クルマが通れる部分は、瓦礫がまるで雪掻きのように両脇に押しつけられていた


2011年4月18日月曜日

大槌町災害支援報告①

震災から1ヶ月になろうとする今月10日、私は川西町の消防職員2名とともに、津波で壊滅的な

被害を受けた岩手県大槌町に、救援物資を携えて入りました。

今回の津波で亡くなった加藤大槌町長とは一度だけお会いする機会がありました。昨年わが町

にも縁の深い作家の井上ひさしさんが亡くなり、お別れの会が7月1日に催されました。

その場で大槌町の加藤町長と名刺交換をさせていただいたのです。

大槌町には井上先生の『ひよっこりひょうたん島』のモデルといわれる蓬莱島があり、加藤町長は

ひよっこりひょうたん島で町おこしをすすめておられました。

その場で「井上先生の縁を持つ者同士これから連携して地域起しをしましょう」と話したのです。

大槌町は釜石市の北に位置し、人口は1万6000人。

豊かな漁場に恵まれた漁業の町です。

今回の震災では600人が死亡し、まだ1000人が行方不明です。

加藤町長も津波に巻き込まれ亡くなりました。

震災後火災が発生、三日間燃え続け、山火事も発生しました。


こうした悲報が伝わってくるたび、加藤町長との約束が気になっていたのですが、震災で混乱し

ている時に迷惑をかけてはいけないと遠慮していたのです。

そんな折りに大学の大先輩で岩手県北上市の市議会議長・八重樫真澄氏に相談したところ、

「考えているより行動だ」とのアドバイスがありました。

さらに井上ユリさんも心配しているとのことだったので、井上先生の強い因縁を感じながら、ちょ

うど井上先生の命日にあたる9日に大槌を目指し川西町を出発しました。

大槌町への訪問を伝える山形新聞の記事