2011年9月29日木曜日

今年の生活者大学校のテーマは東日本大震災 大槌町からも講師が

9月は大雨や台風で荒れ気味の天気でした。川西町は、幸い大きな被害を受けることはありませんでした。

しかし東日本大震災の被災地では、洪水や土砂崩れのおそれがあり、仮設住宅から更なる避難生活を強いられた方もおられました。

ようやく町長選挙と町議会議員選挙が実施され復興への本格的なスタートをきった岩手県・大槌町では、台風15号の大雨で土砂崩れのおそれが出てきたため仮設住宅に住む人たちに避難指示が出される事態になりました。

震災から半年が経過し、ようやく仮設住宅での生活がはじまったばかりのところに、さらに避難指示とは。避難を強いられた住民のみなさんの心中を考えると言葉もありません。

川西町は町の職員を大槌町に派遣するなど、これまでも大槌町の復興のお手伝いをしてきましたが、碇川(いかりがわ)豊・新大槌町長とも電話でお話しし、今後もできるだけ復興のお手伝いをしたいとお伝えしました。

こうした行政レベルの協力ももちろん重要ですが、住民同士の連携というか、ともに生きる者同士が、生活者の目線で今回の震災を考え、復興の道筋を話し合っていくことも非常に大事だと思います。

そんなことから川西町は下記の日程で行われる生活者大学校に今年も協賛していきます。

今回は講師として大槌町生涯学習課長の佐々木健さんに来ていただけるということで、被災地の生の声を聞きながら、私も復興の道筋を考えていきたいと思います。



岩手県大槌町生涯学習課長・佐々木健氏。

第24回遅筆堂文庫・生活者大学校

201l年11月l2日(土)~13日(日)

会場:山形県川西町・遅筆堂文庫/川西町農村環境改善センター

テーマ 『吉里吉里人に学ぶ 生産地の再生』
”生活者の視点で自らの暮らしをもう一度見つめなおそう”

井上ひさしの提唱ではじまった遅筆堂文庫生活者大学校は今年で24回目。
今回は、東日本大震災がテーマです。
発生から半年を経過しても、被災者支援が進まず、地域コミュニティ再生の足がかりさえ危うい状況です。
講師には、佐々木健さん、畠山重篤さん、樋口陽一さん、小熊英二さんをお迎えします。
被災地ではいま何を考え、どう未来を見据えているのか。
また、憲法、社会学それぞれの専門的立場からの発言に、参加者の意見を交えてともに考えます。
               '
【講師】
佐々木 健(岩手県・大槌町生涯学習課長) 

畠山 重篤(宮城県気仙沼市・NPO法人森は海の恋人理事長)
小熊英ニ (社会学者・慶應義塾大学教授)
樋口 陽一(憲法学者)

【お問い合わせ‐資料鵬求】      .
●遅筆堂文庫生活者大学校実行委員会事務局

〒999‐0121 山形県東置賜郡川西町大字上小松1037ー1
川西町フレンドリープラザ内
TEL0238-46-3311 FAX0238-46-3313
Mail seikatsusyadaigakkou@gmail.com

★お申し込み方法・カリキュラム・受講料など詳細が決まりましたらお知らせします。はがき又はFAXで住所・氏名・電話番号(FAX番号)をお知らせください。
★これまで受講された方、既に資料請求を行われた方には準備でき次第資料をお届けします。再登録の必要はありません。
主催運営:生活者大学校実行委員会・NPO法人遅筆堂文庫プロジェクト   ‐
協賛:山形県川西町 後援:こまつ座
協力:やまがた里の暮らし推進機構

2011年8月6日土曜日

大槌町に行ってきました③ 派遣した川西町職員を激励

東梅前副町長にお会いした後は、川西町から大槌町へ長期派遣している遠藤隆正君を激励するため、町民課へ。


今回大槌町に行ったメンバーと記念写真


町民課前で遠藤君に話をきく

遠藤君は大槌町の町民課で戸籍係の業務についています。

「電算システムが川西町と同機種なので、仕事はやりやすい」と、遠藤君。

けれど、ようやく死亡の消し込みがはじまったところだということでした。

心配なのは慣れない場所での食事や日常生活ですが、

「毎週末は川西町に帰っていますし、朝、晩、食事はしっかりとっているので大丈夫」とか。

次に大槌小学校の2階にある選挙管理委員会に行き、田中和広君と高橋司君を激励しました。


選挙管理委員会に派遣された高橋君(左端)

田中君(左)も選挙管理委員会の仕事に従事。
「選挙管理委員会には、大槌町の職員はだれもおらず、全くゼロからスタートで、とてもたいへん」

と、口をそろえる。

「選管」は大槌町職員のOB、東京・千代田区からの派遣職員、それに川西町から派遣された二人の寄り合い所帯。

現在大槌町には全国から60名を超える派遣職員がおり、寄り合い所帯は「選管」に限ったことではないのですが、派遣職員の大半が1週間交代という短期派遣。

そのため仕事の引き継ぎもままならず、せっかく派遣された職員が、窓口の案内係や避難所の手伝い、物資調達などに従事していると言います。

せっかくの専門知識やスキルがいかせないのは、もったいないな。そう感じました。

「その点、川西町のように長期派遣してもらえるとほんとうに助かる」

と、大いに感謝されて「選管」をあとにしました。


港近くにがれきがあつめられていた。うしろは「ひょうたん島」

4カ月前にくらべると、町中のがれきはきれいに片付けられていた。
途中に通った釜石市内の方が、片づけが進んでいない印象をうけた。

2011年8月5日金曜日

全頭検査で米沢牛のせりが再開。価格が戻った!

昨日(8月4日)、米沢牛のせりが、3週間ぶりに再開しました。

放射性セシウムを含む稲わらが肉牛に与えられていた問題が起きて以来、せりをやめていた米沢食肉公社が、山形県の全頭検査を受けて問題ないとされた米沢牛50頭を3週間ぶりにせりにかけました。

結果は、せりを自粛する前の値段を超える高値をつけた牛もでて、値崩れを防ぐことができました。

安全でおいしい米沢牛というブランドを守ることができたことに、米沢牛の肥育農家がたくさんある川西町の町長として、ほっと胸をなでおろしています。

震災以降、あまりいいことがなかったなかで、久しぶりの朗報といえるでしょう。

宮城、福島、岩手、栃木の4県の肉牛が出荷停止になる中、先手をうって、せりの自粛と全頭検査を打ち出したことが、米沢牛のブランドを守ったわけです。

米沢食肉公社でせりがはじまった。読売新聞より


2011年7月26日火曜日

大槌町に行ってきました② 東梅前副町長に義捐金を手渡す

吉里吉里小学校の次に向かったのは、大槌小学校のグランドに仮設された大槌町役場の総務課。

大槌小学校のグランドに仮設された町役場


現大槌町町長職務代理の平野課長は、この日行われた震災後4カ月の合同法要に出掛けて不在でした。

替わりに、震災後6月まで「職務代理」として大槌町復興の指揮をとってこられた東梅前副町長が出迎えてくださり、川西町が集めた義捐金を受け取ってくださった。

東梅前副町長(現参与)に川西町で集まった義捐金を手渡す


因みに我々が当日もっていった義捐金は、町から10万円、町管理職から25万円、商工会20万円、イベントで集まった義捐金約20万円でした。

その後、東梅前副町長から大槌町の復興のようすを伺い、役場の機能も動き出していると感じました。

町民向けの案内板。手作りだが確実に業務が動き出していることを感じさせる

当面の課題として東梅前副町長は、「役場をどこに建てるか。学校をどうするか。そもそも大槌町の中心をどこにするのかが大きな検討課題だ」と、話しておられた。

また「さきほど県(岩手県)の副知事がきて『大槌の復興が遅れている。急ぐように』といわれたが、そう簡単なものではない。いまは8月28日に決まった町長選と町議選の準備をしっかりやることと、復興計画策定の検討会を粛々とすすめていく」とのことでした。
川西町から今回大槌を訪れたメンバーと東梅前副町長

大槌町にいってきました① 最初に吉里吉里小学校を訪問

7月11日と12日の2日間、川西町から大槌町への義捐金を届けに大槌町へ行ってきました。

今回は川西町議会の正副議長、総務文教常任委員長、産業厚生常任委員長にも足を運んでもらい、大槌町の被害の実態と、復興に向けて大槌町の皆さんが努力されている様子を実際に見ていただきました。

最初に訪ねたのは大槌町の東部にある吉里吉里小学校でした。

吉里吉里小学校
高台にある吉里吉里小学校は津波の被害をほとんど受けず、子どもたちも全員無事でした。

学校の様子を伺った同校の佐藤校長は、

「今回の地震と津波で、子どもたちがひとりも犠牲にならなかったことが何よりでした。毎日、子どもたちの笑顔と元気なようすに、おとなたちが救われています」

と、話された。


吉里吉里小学校には、同町で津波の被害を受けた三つの小学校が移ってきており、体育館や特別教室を利用して運営されています。

体育館を見学させてもらうと、内部は間仕切りされて教室として使用されていて、子どもたちの元気な声が響いていた。

その様子を見ながら、教育の原点を考えさせられました。

体育館には、もちろん冷房はなく、ようやく扇風機が入ったところで、佐藤校長は、

「これで少し暑さがしのげれば」

と話しておられました。

吉里吉里小学校の体育館は間仕切りで教室に

吉里吉里小学校では、8月13日に吉里吉里小学校で行われるキリキリマルシェを主催する碇川ちふゆさんにお会いしました。

キリキリマルシェを主催する碇川さんと
キリキリマルシェについてはこのブログでも紹介していますが、こうした若い人たちが大槌町の復興に向けて動き出すことが何より大切だと思います。

碇川さんによれば「資金面がなかなか、たいへんです。町の商工会や役場とも、やってコンタクトがとれたばかり」とのこと。

ぜひ多くのみなさんの支援を呼びかけたいものです。

2011年7月10日日曜日

8月13日 岩手県大槌町吉里吉里で「キリキリマルシェ」開催

明日11日は東日本大震災から4カ月目にあたります。

これを機に私は再び岩手県・大槌町の皆さんを激励に行きますが、その直前になって「キリキリマルシェ」開催のニュースが飛び込んできました。

キリキリマルシェは「この震災により壊滅してしまった大槌町の皆様に楽しんでいただけるよう、様々なものを組み合わせた」市場のようなものだそうです。(キリキリマルシェ出店要綱より)

ちょうど旧盆にあたる8月13日(土)に吉里吉里小学校の校庭で行われるキリキリマルシェ。

野菜屋さんや魚屋さん、手作りのお菓子の店などが、吉里吉里小学校の校庭並ぶ様子が目に浮かびます。

「内陸をはじめ、県外の皆様にも足を運んでいただき、大槌町のものを食べていただき、良さを知っていただけたらと思います」とはキリキリマルシェを担当する碇川ちふゆさんの言葉です。

このキリキリマルシェの話を教えてくれたのは、キリキリマルシェ スタッフの金谷竜祐さんです。

彼は現在川西町のお隣の米沢市に住んでいます。

専門学校で吉里吉里の人たちと知り合い、今回の東日本大震災で大きな被害を受けた大槌の人たちのために何かできないかという想いから、この企画の運営に参加したということです。

彼は、実は私の遠縁にあたります。

そんな縁もあり、キリキリマルシェが成功するよう応援したいと思います。

キリキリマルシェに興味を持たれた方はリンクをはっておきましたのでホームページを参照してください。

2011年6月30日木曜日

7月に大槌町のみなさんを川西町に招待します

岩手県の大槌町に川西町から職員3名を派遣して3週間ほどがたちます。

町長を始め多くの職員が震災で亡くなった大槌町では、ほとんどの職員がいろいろな職務を兼務して大忙しです。

川西町から派遣した3人の職員は、まずは、この夏の町長選挙に向けた選挙人名簿の作成のお手伝いからはじめたようです。

道のがれきは、ほとんど撤去されたとはいえ、釜石から大槌まで慣れない道の通勤はたいへんだと思いますが、大槌町のみなさんのために頑張ってください。

私も3カ月ぶりに大槌町に伺う予定です。

この7月11日、ちょうど震災から4カ月の日にあわせて大槌町にうかがう予定です。

またそれと相前後して大槌町の方々を川西町に招待し、旬のさくらんぼを味わってもらったり、温泉にはいてもらったり、つかの間の休息をしてもらおうおうと企画をすすめています。

これについては詳細が決まりしだい、報告したいと思います。

2011年6月7日火曜日

地域おこし協力隊を募集しています

6月5日の日曜日は伝統の「さなぶり祭り」でした。

今年は雪が深くて春の訪れも遅く、農作業も遅れ気味でした。

そこに東日本大震災がきて、一時は花見はもちろん、さなぶり祭りも自粛かと心配されました。

ここにきて、ようやく田植えの農繁期を終え、ほっと一休みのお楽しみです。

餅をつき、かど(ニシン)を丸焼きにし、おいしい酒を飲みながら、子供から年寄りまで秋の豊作を祈るとともに、骨休みです。

ところで川西町では全国から「地域おこし協力隊」の隊員を募集しています。

地域おこし協力隊は、都市と地方の人材の交流を進める取り組みです。

都市部から来た人に川西町で生活してもらいながら、地域のニーズに合った仕事を通じ、地域の活性化に貢献してもらおうというものです。

住居や生活費等は町が保証します。

4月にいったん応募を締め切りましたが、現在一名募集中です。

詳しくは下記までお問い合わせください。

川西町 まちづくり課 地域づくり推進室 電話 0238-42-6613

2011年6月3日金曜日

大槌町へ職員3人を派遣

6月6日に岩手県・大槌町へ川西町の職員3人を派遣します。

3人の職員は2カ月の予定で、戸籍や住民台帳の復元など、3月11日の東日本大震災以降、滞っている大槌町の事務を支援する予定です。

派遣される職員は釜石市の宿舎を拠点に大槌町に通うことになります。食事や交通手段も川西町の責任で用意し、大槌町にはいっさい負担をかけないことは言うまでもありません。

大槌町からの支援要請があって以降、山形県や岩手県を通じて調整を進めてきましたが、思っていたより早く要請に応えることができてよかったと思っています。

今日は川西町立中郡小学校の子供たちから、
「大槌町吉里吉里小学校で勉強する子供たちへ届けてください」
と義援金を託されました。

6月3日金曜日 川西町立中郡小学校の子供たちから義捐金を託される
子供たちは、3月11日の大地震や大津波のニュースを見て、何ができるか一生懸命考えました。

アルミ缶を集めて換金したお金や小遣い、保護者、先生方の思いがいっぱい詰まった義援金です。

現在、吉里吉里小学校では体育館を区切り三校が仮校舎として使用、都合4校が学習しています。
中郡小104名のメッセージとともに届けたいと思います。

大槌町・吉里吉里小学校の皆さんへ宛てた寄せ書き。

ところで職員の派遣に際して、「なぜ川西町から大槌町へ?」という町民の声もありました。

しかし、これまでこのブログで紹介してきたように、故・井上ひさし先生を縁に交流を深めようとした矢先に起きた大震災で大槌町が壊滅的な被害を受けたわけで、それをだまって見ていることはできなかったのです。

こうした私の気持を率直に伝えることで議会もふくめ多くの町民の方から職員の派遣にご理解をいただいたことは、ほんとうにうれしい限りです。

震災直後は川西町も災害協定を結んでいる兵庫県の川西市から深刻な燃料不足の中、タンクローリー1台分のガソリンや軽油、灯油、毛布などの支援物資をいただいています。

また最近は奈良県の川西町から町長がこられ義捐金をいただきました。

これも「全国川西会」という縁があったからこそ、いただけた支援だと思います。
今回の職員派遣を機会に井上先生が結んでくださった大槌町との縁をより深いものにしていければと思っています。

2011年5月21日土曜日

大槌町から人材派遣の支援要請がきました。

岩手県・大槌町に行ってもらっていた副町長が帰ってきました。

大槌町の東梅町長代行から副町長に「川西町から職員を派遣してもらえないだろうか」との要請がありました。

いま大槌町のみなさんは、ほんとうに困っておられるようです。

町長が津波で亡くなられたことは、このブログでもふれましたが、町の職員も30人以上が亡くなったり行方不明になったりしています。

現在は副町長の東梅氏が町長代行を勤めておられますが、規則で6月20日には代行を降りなければならないと決められています。

新しい町長を選ぶために選挙をやりたくても、津波で戸籍を始め基礎資料がながされているため選挙人名簿をつくる作業から始めなければならないのです。

未曾有の大震災から立ち上がろうとするときにリーダー不在というのは、深刻な事態です。

そこで大槌町から川西町に戸籍の復元や選挙人名簿の作成など、現場の事務に精通した職員を派遣してほしいという支援要請がきたというわけです。

ただ大槌町は先のブログでもご紹介したように壊滅的な被害を受けており、派遣する職員の食事はもちろん住居や移動手段もこちらで確保しなくてはなりません。

週明け以降、大槌町の要請にこたえるべく、人選や環境の整備をすすめたいと考えています。

2011年5月14日土曜日

小曽根真プロデュース「井上ひさしに捧ぐ」開催

震災から2ヶ月たった5月11日の夜、トリビュートコンサート「井上ひさしに捧ぐ」が東京・渋谷Bunnkamuraオーチャードホールで開催されました。

世界的ジャズピアニストの小曽根真さんのプロデュースにより、井上さんの戯曲にゆかりの作品を、大竹しのぶさん、井上芳雄さん、神野三鈴さん、辻萬超さんなどこまつ座出演者が井上先生を偲んで熱唱。

出演者全員で「ひょっこりひょうたん島」を歌うシーンでは、バックに大槌町の蓬莱島が映し出され、井上先生を偲びながら大槌町への復興支援が呼びかけられました。

残念ながら私は参加できませんでしたが、フレンドリープラザ館長が出席、また大槌町から佐々木健生涯学習課長が参加されています。


震災で大きな被害を受けた東北地方の現状を見て、井上先生ならどんなメッセージを発するのか想像しています。
たぶん「生き続けることが大事なんだよ」と井上先生ならおっしゃるんじゃないかなと私は思います。

大槌町へ副町長と担当課長を派遣

このブログでも井上ひさし先生の縁で大槌町へ激励に行ったことに触れました。

今後、川西町との友好関係を含め、どのような関係が築けるのか検討するため、5月17日に副町長、担当課長を大槌町へ派遣します。

現在、大槌町には岩手県が全面的な支援に入っており、県経由で行政機能の維持や復旧のための人的支援、物資の供給が実施されています。

町としての情報発信や、支援の受け入れにも県の調整作業が必要とのことでした。

県の強力な支援は頼もしい限りですが、震災で大きな人的被害を受けたとはいえ、町が町としての機能を喪失してしまっているように感じます。

私としては、大槌町が今後どう町として再建していくのか心配です。

取りあえず私たちにできることは、大槌町に直接、足を運び、顔が見える関係を築きながら何ができるのか互いに検討していくことかなと思います。

一カ月単位の行動で遅々として進みませんが、着実に前進していきたいと思います。

震災から2ヶ月。町単独でも被災者の緊急雇用策を

 川西町では、震災直後の3月15日以来、主に南相馬市から避難されてきた皆さんを受け入れ、2か所の避難所を開設してきました。

避難所では、多いときには100人をこえる方々が長い避難生活をおくられました(最多は3月20日の48世帯、101人)。

一方、知人や親戚など縁故を頼っての避難者も最大45世帯116人に上りました。

福島原発事故が発生し緊迫した状況の中を避難された皆さんも、時間の経過とともに少しずつ落ち着きを取り戻されてきました。

国や福島県の対応策に応じた方。

自身の仕事の都合や暮らし向きなど、それぞれの判断で、自宅へ帰られた方。

放射能によって地元には当分帰れないと判断し、より身近な親類などに身を寄せるため川西町を出られた方。

多くの方が川西町を離れられました。

その一方、子供たちが心配なためこのまま川西で生活を続けたいという方もおられ、避難所を出た36名の方が現在も川西町で生活されています。

また縁故を頼って避難された方のうち、26名がいまも川西町で生活されています。

避難所を出られた方のうち、福島県が出した「仮設住宅に入れるまで旅館やホテルを借り上げて二次避難所とする」との方針に沿って、町の保養施設浴浴センター・まどかに入られた方が16名でした。

また町営住宅や民間アパート、空家などに入居された方が20名おられます。

まどかに入られた方は、地元・福島へ戻る意思を表示した方たちで、避難生活ですから食事等の生活費を負担する必要がありません。

一方、アパートなどへ入居された方は、たとえ仮設住宅ができたとしても入れません。

また、家賃は県が負担するものの、食費を始めとした生活費そのものは、避難所を出たとたんに必要となります。

こうした方々にとって、いま切実なのは雇用の問題です。

つまり生活費をどうするか、です。

ほとんどが保育所に通わせている幼児や小学生や中学生の子どもを持つ世代です。

将来の不安もさることながら、子どもたちのことを考えると、まず目の前の生活がしっかり守られることが大事です。

町としても単独で緊急の雇用対策を講じていきたいと考えています。

2011年5月7日土曜日

南相馬の人たちも参加。ひょうたん島スタンプラリーは大盛況!

置賜公園さくら祭りは、あいくにくの雨で、さくらも見頃とはいえませんでしたが、5月5日の子どもの日に町の中心・羽前小松駅をメイン会場に行われた「ひょうたん島スタンプラリー」は、天気にも恵まれ大盛況。

「小松のまちがみんなの遊び場になる」を合い言葉に、300人あまりの参加者が町を巡りました。


羽前小松駅からスタンプラリーはスタート。受付の横では置農生が物産を販売。















震災後、川西町に避難している福島県・南相馬の子どもたちも、このスタンプラリーをとても楽しんでくれました。

そのお返しに避難されている南相馬の方々が地元の名物・凍み天をつくり、私たちにふるまってくださいました。

草餅を冬の寒気で凍らせ、乾いた餅にころもをつけて揚げた「凍み天」を、私ははじめて食べましたが、とてもおいしいものでした。

ひょうたん島のキャラクター・とらひげの人形がたつラリーのチェックポイントは酒屋さん。















地元からもいろんな人びとや団体が模擬店やイベントで参加してくださいましたが、地元で働く二〇代から三〇代の若手でつくる「若者未来塾」は、川西町名物・紅大豆カレーを考案。

参加者には好評で、用意した紅大豆カレーは完売したようです。

川西町の未来を担う「若者未来塾」のメンバー















ひょうたん島スタンプラリーでは、震災で被災した岩手県・大槌町への義捐金募金箱を置き、川西町出身の井上ひさしさんとの縁が深い大槌町への支援イベントとしました。

先日、大槌町に行った際、副町長からいただいた「大槌町は国内に姉妹都市がないので、ぜひ応援をお願いしたい」との言葉に、すこしでも応えることができたらうれしいと思います。

2011年4月30日土曜日

置賜公園さくらまつりスタート

今日、川西町でも、さくら祭りがスタートしました。
昨日の夜のニュースでは、岩手県北上市・展勝地のさくらまつりに招待された被災者の話題が紹介されていました。

あいにく川西町は例年になくさくらの開花が遅れています。

今日のところは、せいぜい二分咲きといったところでしょうか。

それでも福島県から川西町に避難してきた子どもたちもイベントに参加してくれ、はじめて見る川西町のさくらを楽しんでくれたようです。

連休後半には、さくらも満開になるものと思われますので、ぜひ川西町にもおいでください。

2011年4月28日木曜日

ゴールデン・ウイークは東北へ!川西町へ!

いよいよゴールデン・ウイークがはじまります。

震災の影響で運転できなかった山形新幹線もすでに開通しています。

震災の被害を受けなかった方々がひとりでも多く東北に来てくださることが、東北を元気にします。

川西町でもゴールデンウィークを迎えるにあたって、元気になるイベントを企画しております。

遅れていたサクラもようやく開花しました。

ご家族、お友達とごいっしょに春満開の川西町を楽しみませんか。

◆かわにし春のイベント◆

①置賜公園さくらまつり

 4月29日(金・祝)、30日(土) 10:00~16:00

 場所:置賜公園野外ステージ周辺

②えき・まち子どもフェスタ&ひょうたん島スタンプラリー

 5月5日(木・祝) 10:00~15:00

 場所:羽前小松駅

③川西ダリヤ園スプリングフェア
 5月6日(金)~8日(日) 10:00~16:00

 場所:川西ダリヤ園多目的広場

●情報・問い合わせ●

川西町産業振興課 TEL 0238-42-6645

川西町観光協会  TEL 0238-42-2112




2011年4月25日月曜日

大槌町災害支援報告④

 大槌町の佐々木生涯学習課長の案内で町内を見て回りました。

救援物資の集積所でひとりの若者に出会いました。

彼は今年26歳になる役場職員で、佐々木課長の従兄弟の子にあたるということでした。

佐々木君のお父さんは、地元地方紙の記者で取材中に津波にさらわれ犠牲となりました。

「母親も行方不明中だが探す時間がない。父親の遺体が見つかっただけでもよかった」

と話してくれました。

感動したのは、被災者でありながら、役場職員として任務を遂行する佐々木課長、佐々木君の

働きです。

役場が持つ役割の大きさを強く感じました。町民の命を守るのは我々の使命です。

そして危機的な状況にこそ力を発揮するのが協働のまちづくりです。

自助の力を発揮し、行政と連動したとき2倍3倍の力が発揮できると確信してきました。

二人と力強く握手を交わし健闘を誓いました。

帰りは、45号線、南三陸高速道も通行可能となっていましたので大船渡、陸前高田、、気仙沼を

回りましたが沿岸部はどこも同じで壊滅的な状況です。その情景に慣れてしまうのが恐ろしい。

しかしその中でも陸前高田の惨状は言葉では表現できません。

海上を二機の自衛隊ヘリコプターが捜索活動を展開していましたがあとは見渡す限りがれきが続

いています。時々捜索活動する姿を見ましたが、他に人の姿は見えません。

津波に遭ったかどうかで、ここまで世界が違うのかと思いました。

「地震は経験したことの無い激しく長い揺れだったけど、地震で建物は破壊されなかった。津波被

害に尽きる」

という声を大槌でも聞きました。

津波の被害に遭わなかった地域は、もう普段に近い生活に戻れているようでした。

釜石から気仙沼まで三陸海岸を南下しましたが、海はたいへん穏やかでした。

船が沈んだり打ち上げられている所もありましたが、豊かな海です。

この豊かな恵みを糧に、いち早い復興を願うばかりです。

陸前高田の惨状

山際まで瓦礫に埋め尽くされている

ここにどんな街並みがあったのか想像することもできない

2011年4月23日土曜日

大槌町災害支援報告③

東梅政昭大槌町副町長(町長代行)に面談した私たちは、町から持ってきた救援物資の目録を手

渡し、またプラザから提供いただいたひょっこりひょうたん島のCD、グッズなどをプレゼントしまし

た。そして井上先生との関係、昨年お会いした際の町長さんとの約束を話し、少しでも大槌町の人

びとの力になりたいと申し出ました。

突然の訪問にも関わらず、東梅副町長には大変喜んでいただくことができました。

大槌町は国内に姉妹都市がないので、ぜひ応援をお願いしたいとのことでした。


東梅副町長と面談















大槌町の現状について聞いてみると、さすがに少し疲れた様子でしたが、今もっとも必要とされてい

ることは仮設住宅の建設と災害ゴミの処理だと、静かに話してくださいました。

また避難所の生活が長くなり、当初のおにぎりと水だけの食事から、野菜や果物などバランスのい

い食事への要求が高まっているため、それにどう対応するかも大きな課題のようでした。

8校あった小中学校のうち6校が被災し建て直す必要があるが、当座は残った学校の体育館を間

仕切りして教室を確保し学校を設置するそうです。


地震と津波で破壊され火災で焼き尽くされた大槌町の市街地

















大槌町では町長をはじめ職員32人が津波に飲み込まれ、残った職員の多くも家族や親族が犠牲

者になっており、少しずつ役場機能を復活させているとはいえ、町としての機能がある程度回復す

るには、まだまだ時間がかかるともおっしゃっていました。

町内を案内してくださった佐々木生涯学習課長はこの1カ月の間に休みをとったのは、4月4日と5

日の二日だけ。残りは車の中で寝泊まりしながら仕事を続けてきた。

「家はすべて流されたけど、幸い家族の命は助かったので幸せな方だ」

と話してくれました。

ひょうたん島のモデル・蓬莱島をバックに佐々木氏から説明を受ける

2011年4月20日水曜日

大槌町災害支援報告②

井上ひさし先生の命日でもある4月9日に川西を出発した私たちは、その晩は北上市で泊まり、

翌10日、遠野市をへて、9時過ぎに釜石市に到着しました。

釜石市の中心部は停電していました。木造家屋はほぼ倒壊し、鉄筋コンクリートの建物も3階部

分まで津波が届いていました。津波で運ばれた泥や土砂が一面に堆積しています。不思議に異

臭は感じられません。ただ、今後乾燥してくると、春先の強風によって舞い上がり空気を汚染する

のではないかと心配になりました。

少しずつ災害ゴミが搬出されていましたが、量の多さの割にあまりに重機や運搬用車両の数が

少なく、人力では途方もなく時間がかかると思われます。

道路沿いには、津波に押しつぶされたがれきが、まるで除雪された雪のように押し付けられてい

した。

復旧のため、車の往来を確保しようとしたのでしょう。道が確保されていても信号機が機能してい

いので、交差点にくるたびに徐行しなければなりません。

また押し付けられたがれきが道路沿いに延々と続いているので、どこを走っているのかよくわかり

せん。

戸惑いながらも、カーナビを使い釜石市を抜けて大槌町を目指しました。

大槌町に至る国道45号線は、ほぼ復旧していました。

しかし沿岸沿いの漁港は津波によって壊滅的な被害を受けていました。

何十トンもありそうな防波堤が基礎から破壊され打ち上げられており、改めて津波の破壊力を実

ました。

想像以上の惨状に言葉も出ません。

テレビや新聞では伝わらない現実に遭遇すると人間は無言になってしまうようです。

9時40分大槌町着。

町は焼き尽くされ、焼け残った庁舎、消防署、図書館などは、建物の鉄骨やプロパンボンベ、鉄

もう赤錆びています。

どんな町並みだったのか想像もつきません。

町がなくなるとはこういうことなのかと、あらためて思いました。

自衛隊に災害対策本部の場所を聞くと、本部は焼けた小学校沿いの道を上った高台の中央公民

にありました。

そのまだ新しい建物の中で、本部長の副町長と会いました。

瓦礫の山でクルマが入れない(釜石市内)
















       

クルマが通れる部分は、瓦礫がまるで雪掻きのように両脇に押しつけられていた


2011年4月18日月曜日

大槌町災害支援報告①

震災から1ヶ月になろうとする今月10日、私は川西町の消防職員2名とともに、津波で壊滅的な

被害を受けた岩手県大槌町に、救援物資を携えて入りました。

今回の津波で亡くなった加藤大槌町長とは一度だけお会いする機会がありました。昨年わが町

にも縁の深い作家の井上ひさしさんが亡くなり、お別れの会が7月1日に催されました。

その場で大槌町の加藤町長と名刺交換をさせていただいたのです。

大槌町には井上先生の『ひよっこりひょうたん島』のモデルといわれる蓬莱島があり、加藤町長は

ひよっこりひょうたん島で町おこしをすすめておられました。

その場で「井上先生の縁を持つ者同士これから連携して地域起しをしましょう」と話したのです。

大槌町は釜石市の北に位置し、人口は1万6000人。

豊かな漁場に恵まれた漁業の町です。

今回の震災では600人が死亡し、まだ1000人が行方不明です。

加藤町長も津波に巻き込まれ亡くなりました。

震災後火災が発生、三日間燃え続け、山火事も発生しました。


こうした悲報が伝わってくるたび、加藤町長との約束が気になっていたのですが、震災で混乱し

ている時に迷惑をかけてはいけないと遠慮していたのです。

そんな折りに大学の大先輩で岩手県北上市の市議会議長・八重樫真澄氏に相談したところ、

「考えているより行動だ」とのアドバイスがありました。

さらに井上ユリさんも心配しているとのことだったので、井上先生の強い因縁を感じながら、ちょ

うど井上先生の命日にあたる9日に大槌を目指し川西町を出発しました。

大槌町への訪問を伝える山形新聞の記事