2011年5月21日土曜日

大槌町から人材派遣の支援要請がきました。

岩手県・大槌町に行ってもらっていた副町長が帰ってきました。

大槌町の東梅町長代行から副町長に「川西町から職員を派遣してもらえないだろうか」との要請がありました。

いま大槌町のみなさんは、ほんとうに困っておられるようです。

町長が津波で亡くなられたことは、このブログでもふれましたが、町の職員も30人以上が亡くなったり行方不明になったりしています。

現在は副町長の東梅氏が町長代行を勤めておられますが、規則で6月20日には代行を降りなければならないと決められています。

新しい町長を選ぶために選挙をやりたくても、津波で戸籍を始め基礎資料がながされているため選挙人名簿をつくる作業から始めなければならないのです。

未曾有の大震災から立ち上がろうとするときにリーダー不在というのは、深刻な事態です。

そこで大槌町から川西町に戸籍の復元や選挙人名簿の作成など、現場の事務に精通した職員を派遣してほしいという支援要請がきたというわけです。

ただ大槌町は先のブログでもご紹介したように壊滅的な被害を受けており、派遣する職員の食事はもちろん住居や移動手段もこちらで確保しなくてはなりません。

週明け以降、大槌町の要請にこたえるべく、人選や環境の整備をすすめたいと考えています。

2011年5月14日土曜日

小曽根真プロデュース「井上ひさしに捧ぐ」開催

震災から2ヶ月たった5月11日の夜、トリビュートコンサート「井上ひさしに捧ぐ」が東京・渋谷Bunnkamuraオーチャードホールで開催されました。

世界的ジャズピアニストの小曽根真さんのプロデュースにより、井上さんの戯曲にゆかりの作品を、大竹しのぶさん、井上芳雄さん、神野三鈴さん、辻萬超さんなどこまつ座出演者が井上先生を偲んで熱唱。

出演者全員で「ひょっこりひょうたん島」を歌うシーンでは、バックに大槌町の蓬莱島が映し出され、井上先生を偲びながら大槌町への復興支援が呼びかけられました。

残念ながら私は参加できませんでしたが、フレンドリープラザ館長が出席、また大槌町から佐々木健生涯学習課長が参加されています。


震災で大きな被害を受けた東北地方の現状を見て、井上先生ならどんなメッセージを発するのか想像しています。
たぶん「生き続けることが大事なんだよ」と井上先生ならおっしゃるんじゃないかなと私は思います。

大槌町へ副町長と担当課長を派遣

このブログでも井上ひさし先生の縁で大槌町へ激励に行ったことに触れました。

今後、川西町との友好関係を含め、どのような関係が築けるのか検討するため、5月17日に副町長、担当課長を大槌町へ派遣します。

現在、大槌町には岩手県が全面的な支援に入っており、県経由で行政機能の維持や復旧のための人的支援、物資の供給が実施されています。

町としての情報発信や、支援の受け入れにも県の調整作業が必要とのことでした。

県の強力な支援は頼もしい限りですが、震災で大きな人的被害を受けたとはいえ、町が町としての機能を喪失してしまっているように感じます。

私としては、大槌町が今後どう町として再建していくのか心配です。

取りあえず私たちにできることは、大槌町に直接、足を運び、顔が見える関係を築きながら何ができるのか互いに検討していくことかなと思います。

一カ月単位の行動で遅々として進みませんが、着実に前進していきたいと思います。

震災から2ヶ月。町単独でも被災者の緊急雇用策を

 川西町では、震災直後の3月15日以来、主に南相馬市から避難されてきた皆さんを受け入れ、2か所の避難所を開設してきました。

避難所では、多いときには100人をこえる方々が長い避難生活をおくられました(最多は3月20日の48世帯、101人)。

一方、知人や親戚など縁故を頼っての避難者も最大45世帯116人に上りました。

福島原発事故が発生し緊迫した状況の中を避難された皆さんも、時間の経過とともに少しずつ落ち着きを取り戻されてきました。

国や福島県の対応策に応じた方。

自身の仕事の都合や暮らし向きなど、それぞれの判断で、自宅へ帰られた方。

放射能によって地元には当分帰れないと判断し、より身近な親類などに身を寄せるため川西町を出られた方。

多くの方が川西町を離れられました。

その一方、子供たちが心配なためこのまま川西で生活を続けたいという方もおられ、避難所を出た36名の方が現在も川西町で生活されています。

また縁故を頼って避難された方のうち、26名がいまも川西町で生活されています。

避難所を出られた方のうち、福島県が出した「仮設住宅に入れるまで旅館やホテルを借り上げて二次避難所とする」との方針に沿って、町の保養施設浴浴センター・まどかに入られた方が16名でした。

また町営住宅や民間アパート、空家などに入居された方が20名おられます。

まどかに入られた方は、地元・福島へ戻る意思を表示した方たちで、避難生活ですから食事等の生活費を負担する必要がありません。

一方、アパートなどへ入居された方は、たとえ仮設住宅ができたとしても入れません。

また、家賃は県が負担するものの、食費を始めとした生活費そのものは、避難所を出たとたんに必要となります。

こうした方々にとって、いま切実なのは雇用の問題です。

つまり生活費をどうするか、です。

ほとんどが保育所に通わせている幼児や小学生や中学生の子どもを持つ世代です。

将来の不安もさることながら、子どもたちのことを考えると、まず目の前の生活がしっかり守られることが大事です。

町としても単独で緊急の雇用対策を講じていきたいと考えています。

2011年5月7日土曜日

南相馬の人たちも参加。ひょうたん島スタンプラリーは大盛況!

置賜公園さくら祭りは、あいくにくの雨で、さくらも見頃とはいえませんでしたが、5月5日の子どもの日に町の中心・羽前小松駅をメイン会場に行われた「ひょうたん島スタンプラリー」は、天気にも恵まれ大盛況。

「小松のまちがみんなの遊び場になる」を合い言葉に、300人あまりの参加者が町を巡りました。


羽前小松駅からスタンプラリーはスタート。受付の横では置農生が物産を販売。















震災後、川西町に避難している福島県・南相馬の子どもたちも、このスタンプラリーをとても楽しんでくれました。

そのお返しに避難されている南相馬の方々が地元の名物・凍み天をつくり、私たちにふるまってくださいました。

草餅を冬の寒気で凍らせ、乾いた餅にころもをつけて揚げた「凍み天」を、私ははじめて食べましたが、とてもおいしいものでした。

ひょうたん島のキャラクター・とらひげの人形がたつラリーのチェックポイントは酒屋さん。















地元からもいろんな人びとや団体が模擬店やイベントで参加してくださいましたが、地元で働く二〇代から三〇代の若手でつくる「若者未来塾」は、川西町名物・紅大豆カレーを考案。

参加者には好評で、用意した紅大豆カレーは完売したようです。

川西町の未来を担う「若者未来塾」のメンバー















ひょうたん島スタンプラリーでは、震災で被災した岩手県・大槌町への義捐金募金箱を置き、川西町出身の井上ひさしさんとの縁が深い大槌町への支援イベントとしました。

先日、大槌町に行った際、副町長からいただいた「大槌町は国内に姉妹都市がないので、ぜひ応援をお願いしたい」との言葉に、すこしでも応えることができたらうれしいと思います。