2011年4月25日月曜日

大槌町災害支援報告④

 大槌町の佐々木生涯学習課長の案内で町内を見て回りました。

救援物資の集積所でひとりの若者に出会いました。

彼は今年26歳になる役場職員で、佐々木課長の従兄弟の子にあたるということでした。

佐々木君のお父さんは、地元地方紙の記者で取材中に津波にさらわれ犠牲となりました。

「母親も行方不明中だが探す時間がない。父親の遺体が見つかっただけでもよかった」

と話してくれました。

感動したのは、被災者でありながら、役場職員として任務を遂行する佐々木課長、佐々木君の

働きです。

役場が持つ役割の大きさを強く感じました。町民の命を守るのは我々の使命です。

そして危機的な状況にこそ力を発揮するのが協働のまちづくりです。

自助の力を発揮し、行政と連動したとき2倍3倍の力が発揮できると確信してきました。

二人と力強く握手を交わし健闘を誓いました。

帰りは、45号線、南三陸高速道も通行可能となっていましたので大船渡、陸前高田、、気仙沼を

回りましたが沿岸部はどこも同じで壊滅的な状況です。その情景に慣れてしまうのが恐ろしい。

しかしその中でも陸前高田の惨状は言葉では表現できません。

海上を二機の自衛隊ヘリコプターが捜索活動を展開していましたがあとは見渡す限りがれきが続

いています。時々捜索活動する姿を見ましたが、他に人の姿は見えません。

津波に遭ったかどうかで、ここまで世界が違うのかと思いました。

「地震は経験したことの無い激しく長い揺れだったけど、地震で建物は破壊されなかった。津波被

害に尽きる」

という声を大槌でも聞きました。

津波の被害に遭わなかった地域は、もう普段に近い生活に戻れているようでした。

釜石から気仙沼まで三陸海岸を南下しましたが、海はたいへん穏やかでした。

船が沈んだり打ち上げられている所もありましたが、豊かな海です。

この豊かな恵みを糧に、いち早い復興を願うばかりです。

陸前高田の惨状

山際まで瓦礫に埋め尽くされている

ここにどんな街並みがあったのか想像することもできない

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